料理上手な母の他界、父との二人暮らしと「夕食当番」

 料理上手だった母の影響で、子どもの頃から一緒に料理をしていました。その料理上手な母は中学卒業間近に他界。父との二人暮らしが始まります。

 父に「朝食当番と夕食当番どっちがいいか」と聞かれ、朝が弱い私は夕食と答え、それ以来、実家を出るまで夕食係となりました。父の同僚の方が1年間、毎月一冊の料理本を送ってくださり、それを見ながら夕飯を食べた後に翌日用の料理を作ったり。母がいない不自由の中で料理は数少ない自由の一つでした。

 高校卒業後は短大の保育科に進学し、卒業後は保育士として勤務します。仕事はとてもハードで、未熟だった私は2年で退職。新しい道を模索しながら、26歳の時に近所の中華料理屋でアルバイトを始めたことで飲食に目覚めます。

 朝4時までやっている小さな中華料理屋で、飲食店の方々が仕事後にいらっしゃることが多く、フレンチのお店を営むお客様からチーズを学び、ワインバーのマスターからお酒を学び、休みの日にイタリアンのお店を手伝いながら製菓を教えていただくなど、お客様には本当に可愛がっていただきました。

32歳で開業したお店で作っていた「家庭の味」

 そうした迎えた30代は、仕事ばかりしていました。32歳で独立するも事情により閉店。その後、カフェの料理を任され、店長兼料理長なども経験しました。40歳手前で、ロイヤルガーデンカフェなどを展開するアールアンドケーフードサービスに入り、会社勤めを久しぶりにすることとなります。

ロイヤルガーデンカフェ時代に手がけたケーキ

 しかし42歳の5月、左胸にしこりがあるのに気づき、精密検査を経て悪性の乳がんであることが判明しました。それからわずか4カ月後の9月には左胸を全摘。手術直後は脇が開かない状態で、リハビリはくじけそうになりましたが、先生に今頑張らないと動かなくなると言われ、毎日必死でリハビリに励み、腕は動くようになりました。

    乳がん手術は胸を失うという女性にとってはつらい手術です。しかし私にとっては、胸を失うことよりも腕がダメになることが恐怖の対象でした。

 10月からは現場に復帰しましたが、腕は上がるようになったけれど、野菜を切ろうとしたら、左手できちんと押さえられない。出来ないことだらけでの再出発、仕事自体がリハビリになりました。そこから1年4カ月にわたって、つらい抗がん剤治療が続きますが、さらに蜂窩織炎を発症。それから現在に至るまで、何度もぶり返すこととなります。

 抗がん剤が終われば、元に戻れると思っていました。でも、実際は体力も落ち、加齢も加わり、元に戻ることはなく、最終的には退職を決意しました。

「あなたのことを思って作ったよ、一緒に食べよう」

 イベントのケータリングや料理講師の仕事をしながらも、どうすれば私は無理なく料理の仕事ができるのだろうとずっと考えていました。2018年の秋、少し仕事を増やそうと思って探していたときにシェアダインの募集が見つかり、10月に研修を受けて登録する運びとなりました。

イベントの仕事をしながらも、働き方に悩んでいた時期

 カレンダーを開けたものの、最初はなかなか予約は入らなくて……。やっと予約が入ったときはすごく嬉しかったのを覚えています。その後は少しずつ予約が入るようになりました。

 とにかく慣れるまではシェアダインの仕事に集中しようと思い、料理教室の仕事もお休みすることに決めました。いろいろなご家庭にお伺いしていくとポイントが見えてきますし、習うより慣れろと言いますが、まさにその通りでした。

「習うより慣れろ」で出張料理の経験を積む

 正確には覚えていないのですが、ずっと前に読んだ吉本ばななさんの文章で「『あなたのことを思って作ったよ。一緒に食べよう』が最高のご馳走なんだ」という考えにすごく共感していて、私自身、この言葉を大事に思って料理の仕事に携わっています。

 シェアダインでの仕事はまさにその世界で、料理する私は一緒には食べませんが、伺ったご家庭のことを思いながら創る料理です。「あなたのことを思って作ったよ」という世界観を一緒に創っていく、シェアダインの仕事ができて本当に良かったと料理人として思います。

 現在はかかりつけ医の存在、そして無理はしないことという夫との約束もあり、週4回、9時から18時の間に予約を受ける形で、自分のペースを定めつつ、仕事をしています。闘病を支えてくれた家族を裏切るわけにはいきませんから、自分の体と相談しながら無理なく続けていきたいと思っています。    

子どもの食事に悩んでいるお母さんの相談にちゃんと応えたい

 シェアダインで初めてのお客様から「メニューだけ見るとシンプルですが、どのお料理も素人では思いつかないような食材を組み合わせてあったりと、とても凝っていて家族もとても喜んでいました」という感想をいただいたことを思い出します。その話を親しい友人にしたら「その人すごい! 的確!」という反応。お客様が感じてくださったことをしっかりとレビューを書いてくださっているのが伝わってくるエピソードです。

 実際、シェアダインは子育て世代のお母さんたちが運営されていて、お客様のことも私たち料理家のことも応援してくれています。

 新卒で保育士の仕事をしていた当時、お母さんたちはみな私よりも年上でした。社会人1年生だった私は、お母さんたちに対して理想論ばかりで優しくなかったと思います。年月を経て自分が歳を重ねるにつれ、自分は相手を理解していなかったなと反省することしきりです。

 当時は、時間を守らないのはいけないことだ思いやりのない考え方をしていた私も、今だったらギリギリにお迎えに来るお母さんに満面の笑みで「お帰りなさい!」と言いたい。今、私が子育て世代のお母さんたちよりも年上になり、ご家庭に料理を作りに行くときに、あの時はできなかったけれど、今はあの時よりは理解でき、寄り添えるのではないかと思っています。

シンプルに見えて、とても凝ったメニューが並ぶ

 じつは今年に入って「離乳食・幼児食コーディネーター」の資格を取りました。保育科出身ですので、小児栄養の勉強はしていますし、保育園勤務時代には0歳児クラスを担当したこともあるのですが、古い知識なので、離乳食に悩んでいるお母さんの相談にきちんと答えられるようになりたいと思ってのことです。

 シェアダインでの料理の仕事は、今まで経験したことの集大成のような仕事になりました。そんな私の理想は「求められていることに可能な限り応えられる料理家」になること。相手のことを思い、寄り添って料理する。ずっとこの仕事を続けていきたい、そう思っています。

クジラさんに作ってもらいたい逸品

五目豆、炊き込みごはん

 私はそこにある食材で、その時その時のライブ感がある料理を作るのが好きで得意です。たとえば、お客様のお宅でよく作るのは五目豆、炊き込みごはんなどですが、出汁も具材も、その時その時で全然違います。そういう自在さを、お客様にお楽しみいただけたら嬉しいです。

クジラさんの「記憶の料理」

 私が大事に思っている料理は、正月に食べるお雑煮とがめ煮(筑前煮)です。母が他界してから、我が家の味として大事に守ってきました。

 家族はお雑煮は大好きですが、がめ煮はあんまり食べません(笑)。でも、毎年欠かさず作り続けています。母亡き後、父との二人暮らしで守ってきた大事な家庭料理。その味を継承していくためにも、これからも死ぬまでずっと作り続けます。

「父との二人暮らしで守ってきた大事な家庭料理の味を継承していきたい」